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今日はまじめな話です。あれから20年

ぽっちゃり・デブ女性について。ぽっちゃり女性、それも激ぽちゃさんでないと萌えない、本物のデブ専管理人の激ぽちゃ専用ブログです。

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今日はまじめな話です。

もう20年になるのですね。
それは自分も年を取るはずです。

20年前、1995年1月17日午前5時46分。
実は起きてました。
トイレに行きたくなって用を足して
時計を見ながら中途半端な時間で
このまま起きるべきか、それともあと少し寝るべきか?
考えてる時にあの生まれて初めての大きな揺れを感じました。
大阪での話です。

小刻みに大きく激しく揺れるさまはいまでも覚えています。
あの時は揺れている自分のところが一番大きな被害じゃないか?
と思っていました。
TVをつけても大阪の様子ばかり速報するだけで
まさか神戸があんなことになっていようとは思いもしませんでした。

そして何回か大き目の余震もあって、それでも仕事場へ向かいました。
いつもは車で2~30分で行けるところが4時間ほど。
その間にもラジオで「六甲道駅が全壊」だとか「阪神高速が倒れている」や
「伊丹の自衛隊が近傍災害で知事の要請なしに出動している」とか
「ポートアイランドが液状化で泥の海」など
未曾有の災害だと徐々にわかってきました。

四時間かけて仕事場に向かいTVで映し出されている光景は
いまだによくTVで出ている光景でした。
電話もつながらず、車も大渋滞。高速道路は軒並み通行止め。
公共の交通機関も全く動かない状況では
仕事も何もありません。
帰ることもままならず、しばらく会社にとどまっていました。
会社の人の家では揺れとともに冷蔵庫が歩き出したとか
アパートの階段が落ちたのではしごで降りてから来たとか。
自分の住んでるマンションも地面が波打ち、壁に少しひびが入っていました。

依然電話はつながりません。携帯もそんなに普及していません。
もちろん当時付き合っていた彼女にも連絡はつかず
安否確認できたのは次の日になってからでした。

TVや新聞はどんどん増えていく死者、行方不明者を
センセーショナルに伝え、TVもヘリをバンバン飛ばして
まるでショーを中継するような感じで報道していました。

友人にも連絡はつかず、一人はとうとうそのまま
永遠に連絡できない状態になっていたのです。

結局6000人以上の方が亡くなり、友人もその一人になりました。

初めて被災地に入ったときは見慣れた風景がガラッと変わっていました。
建物が密集していたところは瓦礫の山かブルーシート。
山のほうではがけ崩れのため道が途中でなくなっていたり。

そのころは報道も大震災から地下鉄サリン事件に移っており
忘れ去られたかのような扱いになっていました。

消防や警察、自衛隊の災害における連携などもこれを機に進んでいったと思います。
消防車のホースのつなぎ目の規格が都道府県によって違うので
応援に来ても役に立たなかった。といったこともなくなりました。
あれから20年。それ以降もいろんな大災害がこの国を襲いました。

あの時の教訓を私たちは生かしていくことができたのでしょうか?
個人一人でできることなどたかがしれています。
この国はいつそんな災害が来てもおかしくない国です。
そういう災害に備えること。装備だけじゃなく心構えや避難について
いわゆる「自助」を見直してみようと思います。

年に数度1.17や3.11、そして元祖?防災の日9.1。
この三回だけでも深く考えて点検、行動をしていきたいと思います。
というか自分はしております。

体験してない、覚えていないという
若い人にはあまりピンと来ないかもしれませんが
東日本大震災があったから想像はつくでしょうけど、
こういうことがあった。ということは知っておいてください。

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